書家の写真 ∞ 八戸香太郎

活動してきた各国の街を撮影中。オフィシャルなHPは→→→

真っ白3




あの〜。そちらでハードを修理していただけると聞いたのですが、見積頂けますでしょうか?
いやに丁寧な言葉遣いの自分に目眩を覚えながらも、私は出来るだけ丁寧に症状を説明した。

「あー、それだと完全にハードが壊れている状態ですねぇ。分解してみないとどれくらいの損傷なのか分かりませんけど、○○万くらいはかかりますよ。」

電話の向こうの彼は、あまりに簡単に、そして簡潔に、見積もりを出してくれた。ストレートすぎる言い回しに躊躇する私。
職人によくいるタイプだ。ぶっきらぼうだが、そこに嘘はない。正直に、率直に話している印象を受ける。

だとしても絶句してしまうくらいの値段に変わりはない。
つーかそんなにかかるのかよ!という気持ちと、お金で解決できるなら、、という気持ちの間で心は激しくせめぎあっている。

そしてしばしの沈黙の後、察したように彼は言った。

「いま言った値段は最低でもそれくらいかかるという事なんですよね。実際、あなたのデータにそれくらいの価値はあるんですか?ないなら諦めた方がいいですよ。」

なんと言う問いかけだ!
自分のデータの金銭的価値。つまり私のデータはどれくらいのお金を生むものなのか。そんな事いままで考えた事がなかった。そして今問われている。自分の作品の写真やデータ、そして出会ってきた人達のコンタクトリスト。一体それらの金銭的価値はいくらなのだろうか?

即答できなかった。

ぼんやりと携帯のスピーカーから聞こえてくる声。彼の説明によると、ハードのデータをサルベージしてほしいというという電話は結構頻繁にかかってくるらしい。でも修理費がこれくらいかかりますよ、と告げるとほとんどの人はキャンセルするそうだ。それはそうだと思う。なにせ修理費で新しいのが何台か買えてしまう値段だ。誰だって簡単に「お願いします。」とは言えないだろう。

しかし私はその事で即答できなかったわけではない。

自分のデータの価値、即ち自分が活動してきた事のアーカイブにそれだけの価値があるのか、そう自問自答してしまっている自分に正直驚いている。それは己を信じていない、という事なのかもしれない。これまでの活動は修理費を上回るだけの価値があったのか、これまで書いてきた論文や文章は後世に残すくらいの価値があるのか、これまで知り合ってきた人の連絡先は、後生大事にするくらいの価値なのか、そういう事を考えてしまった自分がいる、という事実。

考えてしまったという事は、逆にいえば疑っているという事である。というか本心ではホッとしたのかもしれない。はっきり言って人間関係にうんざりしている時期だったし、作品に対しても変革の時期だと感じていたのは確かだ。頭は考えている。今回の件を理由にして、自分を許す言い訳にして、この事件を契機に全てのしがらみから解放されるのではないか。大げさに言えば、過去を全て消し去り、新しい自分に生まれ変われるチャンスなのかもしれない、と。

とはいえ、そこで決断できる程私は純粋ではない。一巡り考えると、もう一人の自分が冷静に対処しようといているのを感じる。
お前はもうすでにどっぷりと社会に漬け込まれているのだ。いままでやってきた事を捨てられるはずがない。明日からどうするんだ。不毛な事を考えるくらいならさっさと問題を対処して、早くリカバリーしろ。人生ってやつは積み重ねが大事なんだぞ。

そんな大人な自分を感じると、またそれが自己嫌悪を増長させてげんなりする。
しがらみってやつはどこまでも強大だ。どこまでも自分の判断を鈍らせる。

「一度、考えて、みます。また、連絡します。」

弱弱しい声で、電話をきった。そしてふらふらと近くの公園を探し、ベンチにどかっと腰掛けてタバコに火をつける。

「あぁ、いままでやってきた事って何なんかなぁ」



あと一回つづく。
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